生きることを考えることは、死ぬことを考えることである

純愛伝道師のやっちです。

たぶん、熱中症にかかってます。頭痛がとれません。

知らなかったんですけど、熱中症って死に直結してるんですね。

<埼玉・熱中症死>昼食時不在に気づくも、確認怠る

埼玉県上尾市の障害者施設「コスモス・アース」で13日、男性利用者(19)が送迎用のワゴン車内に約6時間半放置され死亡した事故で、一部の職員が当日の昼食時に男性がいないことに気づきながら、確認を怠っていたことが県の調査で分かった。県警の14日の司法解剖で、死因は熱中症とみられることも判明。職員の連絡体制などに不備がなかったか業務上過失致死容疑を視野に捜査している。(毎日新聞)

引用元:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6246965

 

今日は、なんで自分、生きているんだろう~とか、人はいつか死ぬのか……ってぼんやり考える人向け。

今日生きていることの当たり前は、奇跡であるという話です。

 

明日、自分が生きていると思いますか?

僕は高1の時に母をガンで亡くしているし、大好きだった友人のおじさん、元同僚、近所の人が自殺してしまったりと、

死については身近で体感しているほうです。僕本人もこれまで、3回死にかけています。(暴力、電車事故、交通事故)

なので、人は明日死んでおかしくないことも知っています。

それでも、「明日自分は生きている」という当たり前に思う感覚が抜けることはないんですよね。

当たり前でなく、奇跡のような話なのに。

時々、車が突っ込んできそうになります。

熱中症や病気になったりします。

その時、死んでいてもおかしくないんです。

 

 

心から信頼する神主さんの言葉で納得した、人が死ぬとき

人が生きてるって、どういうことだと思いますか?

人が死ぬって、どんな時だと思いますか?

僕は物理的に身体が動かなくなる状態、または心肺停止、口が聞けなくなるなど、それらが生きてる状態が終わること、すなわち死ぬということだと思っていました。

僕の母親を極楽浄土へ導いてくれた神主さんがこう言ったんです。

人が死ぬ時は、あなたたちがその人のことを忘れた時です。

この言葉で、僕はいかなる時も母親の話をしようって思いました。

もちろん誰にでもなりふり構わずではありませんが、会話の合間になるべく言うようにしています。

同時に、この世からいなくなっても「こんな人がいた」って伝えてもらえるような人になりたいって思ったんです。

それは強くなりたいとか有名になりたいとかって話じゃなくて、身近なたった一人でもずっと覚えていてくれる人ができたら、僕の魂をこの世に留まらせ続けてくれる存在がいてくれたらいいなって。

 

 

魂の存在を信じるようになった

僕は現実主義者なので、その人の魂が常にこの世に在り続けるというのはどうも納得できませんでした。

供養もするし、心から、人の死にお悔やみを申し上げていました。

それでも、その行為は、「きっとあの世でも幸せで暮らせますように」と、そう思いたい人たちによる儀式なんだと、そんな風に思っていました。

ですがこの神主さんの言葉で、人間は、魂が身体を動かしているものなんだと思うようになりました。

魂だけではこの世の物質に触れることはできないので、身体に宿る必要があります。

今では人に魂が宿っていることは確信していて、魂が泣いていたり、燃えていたり、輝いていたり、色んな表情がわかります。

人ってよくよく見てみると、魂は泣いているのに顔が笑顔だったりします。

僕は典型的な、魂を喜ばせてあげられない人間でした。今、ようやく向き合ってあげられてると思っています。

僕がこれまで出会った人の中で、それをさらに前向きな気持ちにさせてくれた方が、四角大輔さんでした。

人には魂が宿っているということを、素晴らしい言葉で表現してくださっています。

 

たとえ頭で、他人の命令に従おう、
周りに合わせようとしていても

体の胸のあたり、心の一番中心に存在する
〝ぼく自身〟である〝魂〟が

〝体というツール〟を使って
必死になって「ダメだ!」と叫び、
サインを送ってくれていたんだと思う。

あなたの魂を殺す、目に見えない圧力や
目に見えるシステムに負けつづけていると、

人間は気付かないうちに、
同じ型のワクに収まりきってしまい、

感性や才能、
アーティスト性を失ってしまうことになる。

ついにはその状態が〝あたり前〟となり、
安堵を感じるようになってしまい、

そこから抜け出すことに
恐怖さえ感じるようになる。

そうなってしまうと
〝あなた自身〟は存在感を失ってしまい、
あなたの〝魂〟は消滅してしまうんだ。

 

http://4dsk.co/about/message/4108/ :ブログより一部抜粋

 

 

魂をずっと泣かせている状態って、死んでいるようなものなんじゃないか

身体が動いている状態。

それだけを生きているとするなら、僕らには愛なんていらないんじゃないかって思うんです。

身体が健全に動いて、生殖機能を使い、子孫を増やす。

そのサイクルをひたすら回すのみです。

経済を発展させたいなら、合理的に衣食住のシステムをつくっていく。

そのサイクルをひたすら回すのみです。

でも僕たちは人を好きになることができる。

自分がワクワクする仕事、人を思いやる仕事、もっと楽しく生きられる仕事など、愛のある仕事を生み出すことができる

それを本気でやっている人って、やっぱり魂が喜んでいるように見えます。

逆に魂を泣かせている人は、すごく頑張っていて前向きに取り組んでいるように見えても、なぜか何も見えてこない。何も見えてこない人には、応援しようにもできなくて、もどかしく感じることがあります。

本音を言ってほしいなぁ。と思って、それで終わってしまいます。

誰かに何かを言ってほしい、賞賛してほしい、認められたい、そんな風にしか見えないからです。自分を愛してません。

なんだかそれって、「生」を感じなくて、やっぱり死んでいるようなものなんじゃないかって思うんです。

せっかく身体があるのだから、そして魂が宿っているのだから、自分を生きてほしいです。

こういうことを言うとなぜか特別なことをしようとする人が後を絶たないんですが、逆に、どれだけシンプルにできるかという話なんです。

どんなことをしている時が自分は一番うれしいのか、楽しいのか、胸が躍るのか、夢中なのか。

それをわかって、生きていこうと決めたら、その後の生活のことも考えればいいだけです。

大丈夫です。今はよほどサボらなければ生きていけるテクノロジーと原理原則があります。教えてくれる人もたくさんいます。

あなたに必要なのは、誰かの人生を生きたいか、自分の人生を生きたいか、その2つの道のどちらかを決めることだけです。

 

 

まとめ

人はいつ死ぬかわからないことなんて、誰もが知っていることだと思うんです。

知っているけど、少し遠い存在になっていませんか?

2011年の東北の震災で命の尊さに気付いて、行動を始めたって人が周りにたくさんいます。

後悔のない人生を、誰かを励まし続ける人生を、とても力強い人生を歩んでいます。

その人たちは特別だからそのように行動できているんでしょうか?

違います。誰もが最初は一歩を踏み出すのが怖くて仕方なかった。踏み出した後も半信半疑だった。

これまでは用意された道をなぞっていけばよかった。でも自分を生きるということは、道を創るということ。

どんな風に、どのような形で、何をして生きていけばいいか、自分で決めています。

自分の魂を喜ばせながら生きています。

特別なことはまったく必要ありません。自分に純粋で、素直であることだけです。

あとは、「生きる」ということを決めるだけです。