山小屋の10年勤務から34歳でライターへ。会社員を続けられなかった吉玉サキさんの、不安との向き合いかた

山小屋

やっち(@koibanaya)です。

不定期にて作家さんへのインタビューをしています。前回のbar bossa店主の林伸次さん以来です。

今回は山小屋ガールの吉玉サキさん。

 

およそ10年、北アルプスの山小屋で働く日々の想いや葛藤をギュッと詰めたエッセイ、「山小屋ガールの癒されない日々 / 平凡社」を出版された吉玉サキさん。山小屋で働く前はニートだった経験や、広告代理店の勤務やレストランのアルバイトが数ヶ月しか続かなかったことも。そんな吉玉さんが10年も続けられた山小屋生活は、吉玉さんの心に何を残してきたのか。人間関係や不安との向き合いかたを中心に、今の想いをお聞きした。

 

 

とりあえずやってみた。できたから、続けられた

 

僕は最初の質問から、吉玉さんの静かで穏やかそうに見える空気の内側に、きっととてつもない情熱や野心が隠れているのではと、山小屋に勤めることを決めた心情について触れてみた。そして、「とりあえずやってみよう」という気持ちほど自然な原動力はないと、思い知ることとなった。

 

ーー人に薦められたとはいえ、仕事を辞めて自信をなくしていた中で山小屋に勤務するというのはすごく勇気のいることだと思うんです。どうして思い切れたのでしょうか?

 

「3ヶ月の短期バイトだったので、とりあえずやってみようぐらいの気持ちで、思い切るほどのことではなかったんです。最初は、まさか長く続けるとは思っていませんでした」

 

ーー2、3年目はビクビクしながら厨房業務をやっていたそうですが、続けられたのはどのような支えがあったからでしょうか?

 

「辞めるほどいやなことはなかったからです。会社員は、できなかったから辞めてしまったけれど、山小屋では仕事できる人と比べるとキリがないと思ったし、『だめだわたし』と落ち込むこともなく普通にできていたから続けられました」

 

「やってみて、自分にできることは続けられるし、できないことは続けられない」。吉玉さんはこんなにもシンプルな話をしているのに、なぜか新しいことのように感じた。それほど、自分ができないことを続けている自分を当たり前にしているのかもしれない。なにせ世間では「努力が足りない」ということになっている。

 

 

将来の不安は誰にでもある。対処できない不安だけを残すようにする

 

吉玉さんは自分をまったく信頼していない。「相手に信じてもらうにはまず自分から」という言葉がかすむほどに、あまりにも相手に寄りかかっている。ここまで自分のことをさておき相手を信じられる姿勢は、なかなか真似できるものではない。

 

ーー著書の中の将来の不安についてのお話で、カンジさんというスタッフの方の性質で楽観思考(なんとかなる)、自信(なんとでもできる)、自負(今までだってなんとかしてきた)について触れていましたよね。どれも自分にはないとおっしゃっていましたが、吉玉さんにはそれがあるように感じています。出版して数ヶ月が経った今、自分の中で思うところはありますか?

 

「35年もなんとかしてきたけど、なんとかなるって思えません。基本的に自分を信用していないんです。そういえば、漠然と夢を思い描くことはありましたが、子供の頃から将来のことを何とも思わなかったんですよね。長期的ビジョンとか人生設計とか、そういうことを考えるのがすごく苦手なんです。1ヶ月先が限度で、それ以上のことはなにも考えられません。多分、脳のそういう部分が欠けているんじゃないですか。笑」

 

ーー今を全力で生きる、ということなんですかね。

 

「意識して刹那的に生きているわけではなくて、物事を刹那的にしか見られないんですよ。先のことに備える気持ちがないだけで、未来予想は好きなんです。20歳ぐらいのときに、日本の勢いがどんどん衰えていくんだろうなって思ってましたが、今、予想よりすごい衰えていますよね」

 

ーー世間ではよく、将来のことを逆算して考えようと言われていますが。

 

「10年、20年先を考えられる人もいるし、考えるのが悪いとは思っていません。かといって、必ずしも先を考えなくてはいけないとは思いません。予測できないアクシデントは必ずあるだろうから、そのときどきで対応していくしかないと思っています」

 

ーー山小屋で不測のアクシデントが起きたときも、そのときどきで対応しようと思っていましたか?

 

「どうなんだろう。もちろん台風などの事前にわかっている備えはするんですけど、想定ができなかった突発的なアクシデントがあるときは、とにかくみんなでなんとかしていました。『わたしはポンコツでも、みんながなんとかしてくれる。絶対大丈夫』って思っていて、わたし以外の人のことは信頼していました」

 

ーー吉玉さんの「不安を抱えたまま、毎日を笑顔で生きる」という言葉に胸を打たれました。なんとなく頭では理解できても、それでも不安を置いておけない人が多いと思っています。そのような人に吉玉さんならどのような言葉をかけてあげますか?

 

「みんな言っていることかもしれませんが、備えられる不安と、どうしようもない不安があると思っています。例えば、大地震がきたらどうしようって不安があったとして、それ自体は止められないですよね? かといって、備えがまったくできないわけじゃない。わたしは大容量バッテリー、缶詰、カセットコンロなどを防災の箱に常備していて、水も2ケース買いだめしていますが、そういうことはできますよね。お金や仕事も、なにかしら備えはできると思っているんです。そういう現実的に対処できることはしますし、まったく対処できない不安に関しては不安でいるしかないですよね。笑」

 

ーーまさに! 対処できない不安は不安でいるしかないです。笑



「対処方法については、こうしたらいいんだろうなってわかっていても能力的にできないことがあります。仕事はまさにそういうことが多いと思っていて、私は不安定なフリーランスをやるよりも編集プロダクションに所属したほうがいいんだろうなと思っていても、能力的にできないんですよね。対処方法がわかっていても、対処できないことってみんなあると思うんです」

 

 

誰もが生きづらさを持っている。わたしだけが特別ではない

 

吉玉さんは、「どちらかハッキリさせる」という世間の論調を吹き飛ばすほどに、グレーゾーンがあってもいいということを教えてくれる。改めて不安について触れ、人の持つ生きづらさについてお話いただいた。

 

ーー吉玉さんのお話から、仲間の支えがとても印象強く残っています。そういった支えこそが不安を払拭することのヒントになるとしたら、支えを見つけるためになにができると思いますか?

 

「不安がなにかによりますね。こういった不安を抱えたらどうするか、という個々のお話になるかと思います。ただ、私は不安障害を持っているので、『不安は払拭できない』という前提があります。あまりにも過呼吸がひどいときは薬を飲んだり対症療法でなんとかするけど、どうしようもないこと意外は対処します。私がライターとして売れっ子になったとしても、年収が増えたとしても、どうしたって不安はあるんですよね。哲学的な話になるかもしれませんが、そもそも、不安は払拭する必要があるのだろうかと仮説を立てています」

 

ーー不安を払拭する必要があるのか、ですか。

 

「不安だ不安だって言いながら85歳まで生きていたら、それってなんとかなっているじゃないですか。私は毎日、しんどさと不安を持って生きています。でも、同じように楽しいこともあるから、不安と楽しさが混ざり合う毎日です。自分だけが特別とはまったく思っていなくて、わたしはわたしで生きづらさを持っています。私が住んでいる町田市の生きづらいランキングがあったとして、自分がTOP10入りするほど生きづらいとは思いません。そもそも相対化はできないと思うんですよね。誰もがしんどいし、誰もが生きづらいと感じて生きている。幸せな人と不幸な人がいるのではなく、生きている中で幸せや不幸せを感じたりするだけと思っています。どちらかに寄せる必要なんてなくて、その日によりますよ。笑」

 

最後は「不安を払拭する必要はあるのか」という哲学的な話となり、吉玉さんの考える幸せについても触れることができた。このときの僕はすっかり、幸か不幸かのような話は飛んで、今が楽しいかそうでないかといった、一喜一憂を受け入れられるような清々しさを感じていた。僕はここまで人間のダークな面を語ったときに、ポジティブに受け止められる人と出会ったことがない。これからも、吉玉サキさんという人の魅力を知っていきたい。

 

▼吉玉さんの人生に大きな影響を与えた山小屋の日々をつづったエッセイ、「山小屋ガールの癒されない日々 / 平凡社」は好評発売中。