巨乳と貧乳から考える、ただそこに存在する絶対的なもの

最短2ヶ月で「こうすべき」を卒業して、最後の純愛にできる!
結婚5年目でも毎日スキと伝える愛妻家、純愛伝道師のやっちです。

人間の側面について色々考えさせられるなーって記事があって、あえて書きます。

プロブロガーあんちゃさんがこんな記事を書いてました。

※これを読んでいただいた前提でお話しします。


速攻シェアしました。でも反応薄くて驚いてこうつぶやきました。

閲覧数は多いけど、特に何も言わないんだなぁって。これが現実かっていう悲壮感。

そして同時に込み上げてきた怒り。それは、偽っていた自分について。

 

 

つまらない下ネタほど吐き気のするものはない

男性の中にいると、必ずと言っていいほど出てくる下ネタ。

最近お付き合いしている人はほとんど出なくなりました。

出てもすごくオシャレで面白い表現をされる

あるいは、そこに女性への理解が見えたり、優しさを感じたり、男らしさを感じたりするもの。

確かに僕は可愛い人、綺麗な人を魅力的に思いますし、セクシーさにもクラクラします。やれたかも委員会も好きです

ですが、常にいやらしい目で見るかっていうと、そこは前提にしてほしくないんです。

下ネタ連発してくるような男性と話していると、女性と付き合う=肉体関係という方程式の前提の元に話をされ、圧倒的にその割合が大きいことに驚かされます。

そこがすべてなのかと。それありきで女性と付き合うのかと。そりゃすぐ別れますよ。

今でも吐き気がする思い出で、過去に胸の大きな女性と付き合ったことがあって、友達に間もなく「で、どうだった?」って聞かれたことがあったんです。もう不愉快で仕方なくて。

ヤれたら終わりでしょ?あるいはヤるために付き合うんでしょ?

男友達に「彼女のどんなとこが好きなの?」って聞いた時に何も答えられない人は「ヤれるとこ」ってこと?

 

 

この投稿で気付いた、自分への偽り

さて、今回のあんちゃさんの投稿で気付いたことがあるんです。

それは、いつもこの吐き気のする下ネタに乗っかっていた自分。いつも目をつむっていた自分。

何にも面白くないのに、場を盛り上げるため、ノリの悪いやつと思われないようにするため、下ネタに下ネタを重ねる。

せめて救いようがあったのが、「最初から下ネタに走るやつは自分のネタに自信がないやつだ」って言ってきたこと。誇りに思う。

それはさておき、自分になんだかだんだん腹が立ってきて、つまらないものにはつまらないと言おうと決意しました。

自分を大切にできない人は、純愛にたどり着けないと思っています。反省。

誤解のないように言っておきますと、下ネタ自体は否定しません。面白いものは面白いので。

問題は自己中過ぎたりモラル外だったり何よりつまらないもの。そこだけなんです。

 

 

巨乳や貧乳は比較の永遠のテーマっぽいけど、言うなれば個性でしょ

偏見をもつ人たちの存在と、自分への偽りの怒りを確認できたところで、本題の記事について。

巨乳で悩んでいる方の記事だったわけですが、実は僕も以前、巨乳で悩んでいる人の話を聞いたことがあるんです。

肩が凝りやすいとか、男性からエロいと言われるとか、スポーツの時にジャマとか。

この記事の方はKカップということで、断トツに大きいんですよね。

大変だろうなじゃ済まされないというか、男性の僕には辛さがわからない。

確実に言えるのは、巨乳とか貧乳って個性って思うんですよ。

小さい人は身長を求める。ハゲてる人は髪を求める。でも、小さいこともハゲていることも個性。

 

やっぱり中身でしょとか綺麗ごとを言うつもりはなくて、像は像だし、ライオンはライオン。

車にも飛行機にも種類はあって、でも「そういうもの」っていう絶対的な概念があります。

人間も同じと思います。巨乳である、貧乳である、そういう個性で完結している。

 

 

勝手な価値観の押し付けほど残酷なものはない

問題は、巨乳の人に対する固執したイメージがあること。

僕も本能的に女性の大きな胸は見ちゃいます。「あんなに揺れて痛くないかな」「肩凝らないかな」とか心配になります。

でもそこで「男とヤりまくっているのかな」とか「エロい」とかってなるのが解せない。

男のイチモツを見ても、「おぉ、、、でかい。」で終わりで、別にそこから先は何もないわけです。

巨乳に関しても「でかい。」・・・以上。のはずなんですが、どうやら妄想がどんどん膨らむらしい。

片耳が聞こえない人がいれば、「へぇ。そうなんだ」で、聞こえるほうの耳から話しかける。

目が見えない人がいれば、「なるほど。」と言って、ペースを合わせる。

個性と事実がそこにあって、じゃあお互いに空間を気持ちよく過ごすには?ってだけの話なんですよね。

 

 

普段見慣れている人が普通で、時々見る人は特別っていうのは、どうも不思議なことだ

何が言いたいかと言うと、

数が多い人を「普通」としているだけ。数が少ない胸の大きさや五体が存在しているだけで、全部個性。

僕だって、いきなり足がなくなったら、みなさん「足がない人」って認識するでしょ?

でも足がないというだけの話で、生きているんですよ。足があった頃の話なんてどうでもよくて、今、足がない。

足がない人として、生きていく。それを僕は個性と思います。

ましてや生まれつき備わっているものなんて、「そういう人」って認識するだけでそれ以外の何者でもない。

なのに、それを特別扱いされて嫌な思いをする人が後を絶たない。周りの人の気持ち次第で当事者の生きやすさが変わります。

働き方などに関してもその偏見たるやすごいんですが、ここでは脱線するので省きます。

 

 

まとめ

周りを不快にさせる下ネタはつまらない

つまらない下ネタにつきあう自分にさようなら

巨乳も貧乳も個性で、ただそこに在るもの

今回に限らず価値観の押し付けは人を不快にさせる

少数派を特別視する不思議さ

 

今回読んだのは巨乳の方のインタビュー記事でしたが、その背景にあるのは人のあらゆる面への価値観の押し付け。

「僕は巨乳の人はヤらせてくれるって言ってるようなもんだと思うんだ。エロいし。」

そういう考えを持っているまではいい。でもそれを世の中の当たり前のように振りまくな。

今回のあんちゃさんの記事で、なんだか人間の様々な局面を思い返すことができました。感謝です。

胸の相談はできないけど、やっちのお試し恋愛相談はこちら