両親は、ずっとはいないから。

親子

兼業主夫のやっちです。

16歳で母を、34歳で父を亡くしました。

こんなにも簡単に人は死んでしまうんだと知りました。

そして、苦しむ両親に自分は何もしてやれないという無力感を味わいました。

もう感謝が伝えられないこと、謝れないこと、親孝行ができないこと、まだ知らない両親のことを聞けないこと、たくさんの想いが溢れます。

あなたはお父さん、お母さんと話せていますか?

 

 

話すだけでいい

社会人になった子どもに親が介入することはほとんどないと思います。

親も親で、ようやく巣立った子どもから離れ、自分の人生を改めて考え直すことになるでしょう。

それでも、親は親だし、子も子で、関係は変わりません。

親に話す時間ができたとしても、子はそうはいきません。

結婚、子育て、仕事、仲間との付き合いなど日々の忙しさに追われていることでしょう。

「忙しいから」

親からの要請があったとしても、断ってしまいご無沙汰になっている人もいるかもしれません。

今さら、何を話したらいいのかわからない人もいるでしょう。

でも親は、顔が見れたらうれしいし、他愛もない話ができることをとても幸せに思います。

親にならないとわからないことかもしれません。

子どもと話せるだけで、この上ない幸せなのです。

 

 

赤ちゃんのときは、スキンシップで会話していた

幼少のときは、両親と肌で会話をしていたかと思います。

何度、抱っこをされたことでしょうか。

頬に手をあてられたり、なでなでしてもらったでしょう。

なんだか安心しませんでしたか。

大人になると、それが気恥ずかしくなりますよね。

お互いを抱きしめることなんて、考えたこともないかもしれません。

触れることすら、ないかもしれません。

でも、大人になって気づく親の様子があると思います。

手はこんなに小さかったっけ?

こんなにゴツゴツしていたっけ?

背中はこんなに小さかったっけ?

きちんと見ないと、意外と気づきません。

いつも見ているから気にしないかもしれません。

だからこそ、今一度よく見てみると、今まで気づけなかったことに気づくようになります。

触れることで、できるコミュニケーションがあるのです。

 

 

親は、ずっと子どもを愛してる

幼少のときから、親は子に愛情を無条件に注ぎます。

子はそのことに気づけません。

気づかないほどに当たり前の大きな愛を、毎日のように浴びます。

大きすぎるからこそ、気づけないのかもしれません。

親は、どれだけ大変でも、時には身体が悲鳴をあげても、心が病んでも、懸命に子をかばいます。

子どもが笑ってさえくれれば、親は頑張れるのです。

それでもやはり、子は親の愛情には気づきません。

大人になって、自分が家族を持って、ようやく気づけるのです。

でもその頃には親がいなかったり、健康な状態ではなかったりします。

なんだか、理不尽だなって思います。

僕はずっと母に甘えていて、母が大好きで、母が仕事から帰ってきて疲れて眠ってしまうので、布団を敷いてあげていました。

中学3年のときにがんで入院し、卒業証書を見せに病院に行ったら、母は泣き崩れました。

「よかったね……」

そう言って、噛みしめるように卒業証書をずっと眺めていました。

僕はそんなに喜ぶことかと大げさに思ったのですが、今なら母の気持ちがわかるような気がするのです。

どれだけ大変だったか。

そしてどれだけ母が僕のことを想ってくれていたか、それがわかる「よかったね」だったのです。

心から愛してくれていたことを、こうして書いていて思い出します。

言葉や態度で表面に表さなかったとしても、親は子を心から愛しています。

 

 

母の死での後悔は、結局は生かせなかった

父が亡くなった今年、何より思ったのは、「母のときと一緒だったな」ということ。

大人になった今も、僕は無力でした。

どれだけたくさんのことを知っても、仕事の経験をしても、人間関係についての考察が優れていったとしても、役に立ちませんでした。

僕は父が苦しいとき、自分の家族を優先しましたし、仕事を優先しました。

何もしませんでした。

悔しいとすら、そんな風に思う資格がないとさえ感じるほどに、父を放ってしまいました。

助けてほしいと言わない父に甘えていたのでしょう。

どれだけ苦しかったかわかりません。

どれほどの葛藤がありながら、心配をかけまいとしてくれていたか。

ただ思うのは、僕が同じ状況になったときに、子に「助けて」と言えるかということです。

おそらく、言えないのではないかと思うのです。

親は、子の負担になりたくないのです。

それは理屈ではなく、親はずっと子の面倒を見たいのであり、逆に面倒を見られることに抵抗を感じてしまうのでしょう。

弱音を吐くことすら、許さない親もいるというのもなんだか納得できます。

父は、「オレのことはいいから自分の心配をしなさい」と、ずっと言ってくれていたように思うのです。

生前は、よく「何かあったら延命させずに逝かせてほしい」と言っていました。

僕は後悔があることは間違いありません。

でも、自分のことを優先した選択が間違っていたとも思いません。

心残りなのは、母の死からの教訓を生かせなかったことでした。

きちんと父の話を聞いて、人としても関係を築き、改めて親子の会話をしたかったのです。

この悔しさは、ずっと残るものと思います。

 

 

親は、ある日突然にいなくなる

ご両親はお元気ですか?

会える機会があるのであれば、できる限り時間を作ってほしいと思います。

親孝行がいいことであると言いたいわけではありません。

元気でいれば、親もそれだけでいいと本気で思っているでしょう。

ただ、親から絶え間なく注がれる愛に応えられること、そして自分が子どもだったときの親の心境を聞けるのは、自分が大人になってからです。

照れくさいこともあるかもしれません。

それでも、大きな愛情を知る由もなかった子ども時代から、大人になって受け取れる状態になっているはずです。

時間を飛び越えて、当時感じることのできなかったたくさんのプレゼントを、取りに行ってみませんか。

親は、死ぬまで子を愛しているし、心配しているし、応援しています。

すべてでなくとも、一つひとつの思い出を話す時間を、作ってほしいなと願います。

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