映画『THE FIRST SLAM DUNK』の余韻

THE FIRST SLAM DUNK
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THE FIRST SLAM DUNKを観てきました。
久しぶりの映画館。

 

僕はずっとサッカー小僧でしたが、スラムダンクをきっかけにバスケを始めた世代です。

ミニバス、中学、高校、大学はクラブチームを掛け持ちでやっていました。

スラムダンクはお守りのようなもので、家の本棚で常に手に取れる位置に保管しています。

 

 

井上先生が描く、人の葛藤について

原作でスラムダンクの素晴らしさは世の人気が示すとおりなわけですが、この映画で特に表現されていたのは、人が抱く葛藤についてと感じました。

[名](スル)葛 (かずら) 藤 (ふじ) のこと。枝がもつれ絡むところから》

 人と人が互いに譲らず対立し、いがみ合うこと。「親子の―」

 心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うこと。「義理と人情とのあいだで―する」

 仏語。正道を妨げる煩悩のたとえ。禅宗では、文字言語にとらわれた説明、意味の解きがたい語句や公案、あるいは問答工夫などの意にも用いる。

-goo国語辞書

 

対立や心の中の迷いによって、行動ができない状態とでも言いましょうか。

アニメにおいては、何かをしたくてもできない葛藤があった場合、自分で乗り越えたり、誰かに助けてもらったり、ある出来事をきっかけにして立ち上がったりすることがあります。

そのようなシーンはとてもわかりやすく描かれ、誰もが「これをきっかけに立ち上がれてよかったね」と認識することができます。

しかし本作品においては、葛藤が晴れたのは何がきっかけだったか、全体に散りばめられていて、明確にこれだと言うことができません。

人が抱く葛藤って、そもそも複雑なんですよね。

そんなに簡単に表せるものでも、理解できるものでもない。

それでも、井上先生が2時間という枠内で見事に描き切った、今にも切れそうな細くもろい葛藤をつなぐ様々な要素を楽しめるのが本作品です。

 

 

人の死は必ず訪れ、残された者の葛藤は必ずある

大切な誰かを失った経験のある人なら、誰もが抱く葛藤があると思っています。

僕は16歳の頃に母親を亡くしました。

悲しみに暮れているヒマもなく、次の日から当たり前の日常を生きてきました。

僕たちは何が起ころうと、とにかく生きていかなくてはいけないのですよね。

深い悲しみがあったとしても、心にフタをして、ひとまずやり過ごす。

でも人生の節々で、そのフタがあいてしまうことがある。

そのとき、自分の意思では抑えられないような行動に出てしまうことがあります。

そのような場合に、葛藤が生まれているのでしょう。

感情は、必ず外に出たがります。

抑えていた感情が強ければ強いほど、いざ出ていこうとする際は、大きな行動に繋がるでしょう。

その行動を、幸せに繋がるものとするか、不幸に繋がるものとするか、それらは本人が葛藤の中で生んだ答えによります。

THE FIRST SLAM DUNKでは、どのような答えが描かれているかを是非見つけてほしいと思います。

 

 

在るものへの気づき

失ったものがある一方、在るものはなんなのか。

それが見えるようになると、途端に世界が変わります。

本作品でも、世界が変わった人物の表情はとても美しく描かれています。

人のことだけではありません。

モノにしても、仕事のミスにしても、時間にしても、失ってしまった後悔があったとします。

そこで注目してほしいのは、今、自分に在るものについてです。

心理学ではよく、欠けた円があったとき、どこに注目するかを問います。

欠けた円があれば、欠けていることに捉われてしまうことがあります。

ですが、残っている円はずっと残り続けるのです。

 

 

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