猿の惑星はウイルスで人類がほぼいなくなる話だった

猿

やっちです。

『猿の惑星』シリーズを制覇しました。

単純なB級映画の印象でしたが、じっくり観てみるとおもしろい設計となっていました。

 

言葉と発声こそが人類の宝である

猿の惑星では、言葉にできること、そして声を出せること自体が重要な意味を持ちます。

第一作では遠い未来で、猿が人類を支配する星に到着したと思ったら、なんとそこは地球だったという話です。

人類はあるウイルスによって話すことができなくなっていました。

言葉を使えない人類は知能が低くなり、猿に奴隷として、動物のように扱われています。

逆に、猿たちは言葉を巧みに操り、研究を重ね、高度な知能を持ち合わせています。

人類は、言葉によって知能を高めてきたことがよくわかります。

話せなくなるウイルスに侵されるなんて、まったく予想できなかったことでしょう。

主人公は首を損傷し、しばらく声が出せずにいるために事情を話せませんでした。

それを理由に、他の言葉を話せない人類と同等に扱われていました。

やがて話せるようになると、猿たちは驚愕の表情を見せます。

この様子は、その昔、猿が初めて言葉を発した様子に驚いた人類の反応とまったく同じです。

どの作品においても、言葉を発することができる猿は特別扱いされました。

研究者にとっては貴重な存在、そして有権者にとっては希少価値の高い売り物として映りました。

星の支配者が入れ替わっても、歴史は繰り返すのです。

どちらが支配しようとも、どちらかは奴隷や家畜、あるいは見せ物として生きるようになります。

上に君臨するためには、知能の高さが必要です。

声が出ること、そして言葉にできることは、人類が存続していく上で重要なことなのでしょう。

 

家族や仲間との絆はどんな生物も変わらない

猿も人も、種族という広い範囲から家族や友人まで、自分たちの存在に誇りを持っています。

そして、愛すべき、守るべき存在のことを常に考え、戦っています。

どちらも、奪いたいのではなく、ただ守りたいのです。

脅かされるやもしれぬ相手に恐怖を感じ、威嚇します。

人類は火力を使い、圧倒的な力を持っていることを示そうとします。

戦争では抑止力として核を持つようになりましたね。

猿の惑星でも、核を保持することは人類の象徴のように扱われています。

2作目に出てくるミュータント化した人類は、核を神のように崇めます。

確かに、核はすべてを破壊する超越した存在と考えてもなんら不思議ではありません。

最強の兵器としての存在、守るための存在、どちらが先なのかわかりません。

ひとつ言えるのは、人も猿も、自分たちを守りたい気持ちがとても強いということ。

そして、相手を守りたい気持ちを持つ者たちもいます。

知能を持つ、ということは、どちらも守るためにはどうすればいいかを考えられることなのではないかと思います。

つまり、地球で暮らす者たちとして、共存するためには何をすべきかを考えられること。

映画を観て、人類が天災やウイルスによって苦しんでいるのは、共存するための考えが足りなかったようにも思えました。

地球も生き物と考えれば、人や猿が共存しようとして時に争いが生まれるように、地球とも争いが生まれるのかもしれません。

 

 

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