徳川家康こそ現代人のロールモデルになりえると感じた
初めて大河ドラマを観たやっちです。
「どうする家康」という大河ドラマが幕を閉じました。
あくまでドラマなので家康という人物を知れたかは定かではありません。
しかし物語を通じてこれからの生き方が繋がりましたので、気づきを記します。
なんとなく、今のままで大丈夫かな? と疑問を抱いている方に何かのヒントになればと願います。
強き者こそ生き残る時代の中の家康
戦国時代といえばあまりに有名な織田信長がおります。
名だたる戦国武将の中でも群を抜く強さと言っていいでしょう。
その圧倒的な力で家臣や相手を屈服させてきた点に信長の成功の秘訣があります。
一方で、家康は戦国時代を生きるにふさわしいとは到底言えない弱き者でした。
その時代を生きる9割の人間が、家康が天下統一などできるはずがないと思ったでしょう。
恐竜時代で考えても、ティラノサウルスが王になるのは容易に想像できますが、ラプトルはちょっと無理そうですよね。
でも家康の家臣たちは信長でも信玄でもなく、家康が天下人になることを確信してついていったわけです。
家康は人徳を持っていました。
人を敬う気持ち、素直さ、何より優しさがあり、魅了された者が多くいたということです。
そのような者は失笑されコケにされ、ただそれだけで終わっていたはずなのです。
弱いはずの家康が武力こそ正義であった時代で成り上がっていったことにとても興味が湧きました。
現代で武力に代わるものである政治と経済に対して、私たちが無力でないことを実感するには十分な物語でした。
現代こそ家康のような人が活躍する時代
少し前まではスターが活躍する時代でした。
サッカーや野球のスター選手、IT企業の経営者、インフルエンサーなどのネット上で目立つ人の言うことをひとつの指標として動いている人も多かったのではないでしょうか。
気づいている人とそうでない人といるかもしれませんが、今は必ずしもスター性のある人が活躍しているわけではないですよね。
(大谷翔平は規格外すぎるのでそっと外させてください)
むしろこれまで光が当たってこなかった層の人が活躍しているのではないでしょうか。
あえて不躾な物言いをしますと、写真やテレビ映えしない人たちです。
でも結果として人気が出ると映えるようになるんですよね。不思議なものです。
これまでの価値観では「人気は出ないであろう」とされた人たちです。
家康はまさにそのような人物だったんですよね。
人として地味であり、武将として魅力があったわけではない。
ただし、確かにその村において「いい人」だったわけです。
その、「いい人」の中身が重要であり、人に慕われ愛されることこそ現代を生きる上で欠かせない要素なのではないかと思うのです。
権威性の衰退
ビジネスを教えている人で、権威性を示すよう話す人がいます。
たとえば講師としての姿であったり、大きな舞台に立っている姿などです。
きっとこの人はすごい人なんだろうな、という印象を持ってもらうためです。
かつてそれはビジネスを進める上で重要な要素でした。
商品やサービスを購入する側も、すごそうな人や会社から買っていたはずです。
今はどうでしょうか?
むしろ権威を感じない「普通の人」から買うことが増えていませんか?
飲食店も華やかで映えるところより、素朴で夫婦でやっているようなお店に足を運ぶことが増えていませんか?
自分と同じような環境にいて目立たなかった人が、急にSNSで多くの人から注目されたりしていませんか?
しかも、苦しそうなところから抜け出る感じではなく、軽やかに楽しそうに進めていませんか?
時代は変わりました。
今はいつでもどこでもどんな人でも、自分さえその気になればやりたいことを実現できるんです。
人から尊敬されること、有名であること、実力があること、これまで「そうでなくては人に自分を買ってもらえない」と思っていたことがすべて崩壊しかけています。
まさに家康のような、弱くとも強い理念を持って何かを成し遂げようとする人が人を惹きつけます。
権威性の崩壊はこれからますます進んでいくと思いますので、SNSを含めまわりの様子に注目してみてください。おもしろいですよ。
家族のようなつながり
昨今、コミュニティの在りかたに注目が集まっているのは今さら言うまでもありません。
家康は秀吉が羨むほど有望な家臣と共に歩んでいました。
殿と家臣という関係のみならず、その姿は友人のような、そして家族のような印象を受けました。
家康のことを知るために訪れる地では、必ずと言っていいほど家臣たちの伝説が語り継がれています。
家康が生き残れたのはこの家臣たちの支えがあったからこそです。
徳川家最強と謳われた本多忠勝をはじめ、強き者を従えていたこともありますが、何よりも主の天下統一を何が何でも叶えようとする意思こそ、徳川家の強さの根幹と言っていいでしょう。
一蓮托生、まさに思いをひとつにしているチームの強さこそ脅威だったのです。
さて、私たちのつながりはどうでしょうか。
何かを得られそうだからと期待して集まっている人たちが大半と思います。
会社でいえば給料もしくは福利厚生、大手の人気企業であればモテることや敬われること、インフルエンサーのコミュニティであれば当事者と仲良くなれることや、仕事をより受注できることなどがあるかもしれません。
ところがそのようなつながりですと、Give&Takeの関係しか築けません。
もうそんな時代も終わろうとしています。
とにかくGiveせよなんてことも流行りましたが、それとも違います。
本田忠勝をはじめ家康の家臣は、見返りがほしくて何度も死にかけたのでしょうか。
信じる者の太寿こそが喜びであったと思います。
あくまで仕える者の話なので私たちの時代とは違うかもしれませんが、共通している点はあります。
ひとり一人では偉業を成し遂げることはできずとも、結託により新たな形を見出し壮大な力となります。
家族のようなつながりの居場所が増えたら、より自分のやりたいことが実現できそうな気がしてきますよね。
いかに弱さをさらけ出せるか
誰もが自分の弱さを示せるわけではありません。
隠しておきたいこと、人にどう思われるかわからない恐れ、そもそも自分の弱さを認められない心、それぞれに思いがあります。
しかし弱さを知ってもらうことで、誰かが強みを発揮できる機会を得られるのです。
それは貢献ではないでしょうか。
自分が弱いおかげで、誰かが活躍することができるのです。
だからこそ自分への理解が大切だし、そのことを示す表現も大切です。
家康は茶道や木彫りで精神を整え、ぶれない心を持ちました。
自分の弱さを知っているからこそ内省し、強固な精神を持ち、比類なき強さを得られることができたのだと思います。
まさに家康こそ現代活躍する人のモデルとしてふさわしい人物と感じました。
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